Japanese

Lecture

第2回「切断面がつながり続ける果てに」

2014.3.22

七里圭×渡邉大輔(映画史研究者・批評家)×吉田広明(映画批評)

FacebookやTwitter、LINE、等々、ユーザー同士が、ネットワーク上で情報や会話、コンテンツを双方向的にやり取りし、交換し合う新しいメディアが登場し、YouTube、ニコニコ動画、Ustreamといった、映像をめぐるソーシャル化が進む現代。

今日におけるソーシャル・ネットワーク化という現象にいち早く着目し、従来とは異なる映像文化の広がりと新たな可能性について幅広く論じる新世代の論客、渡邉大輔氏。ソーシャル時代の予言者、伝道師ともいうべき彼の登場によって、連続講座「映画以内、映画以後、映画辺境」は第2回にして早くも一つの大きな山場を迎え、フィルム映画世代たる七里圭監督、吉田広明氏との論議は、半ば新旧世代間闘争と化して一気にヒートアップすることに。

ニコニコ動画の「MAD動画」や「踊ってみた動画」のように、既存のフォーマット、アーキテクチャに乗っかって自己再帰的に作り上げられるn次創作の映像コンテンツ、“映画のようなもの”の果てしなき増殖を、果たしてどう捉えるべきか。「これもやはり映画」としてその多様さを寛容に受け入れるべきか、それとも「これが映画?」として、切断面がないままずるずると繋がり広がる、そのけじめのなさを批判すれば、それですむのか。

従来の映画のように、現実的な対象を映し取ったものではなく、CGでゼロからデジタル的な映像を作り上げるスーパーヒーローものの映画などが隆盛を極める今日にあっては、もはや映画を、現実と代理表象との間に生じるズレという観点から論じる「表象文化論」「メディア論」的なアプローチだけでは応じきれない。その変容した「ポストメディウム的状況」に対して、批評家も作り手も切実に向き合う必要がある。

実はメディアの混交状況は今に始まったことではなく、映画の発明と相前後して、19世紀末から20世紀初頭、さまざまな隣接するメディアや見世物的なアトラクションが登場してそれらが互いに共存し、映画の境界線は、そもそも最初から曖昧で揺らいでいた。

まだ物語映画が確立する以前にエジソンが撮った初期映画「アナベルダンス」と、現代を代表する人気動画、初音ミクの「ミクミクダンス」を例に使った、イメージの見比べ実験。ひたすら踊る女性の身体を写した2つの映像の、時代を超えて一見よく似た共通性に着目する渡邊氏に対し、その面白さは認めつつも、あくまで両者の違いにこだわって異を唱える七里監督と吉田氏。何よりアーキテクチャありきで、本来それ以前にあるべき、現実と表象との葛藤がすっかりオミットされてしまうのは、やはり問題ではないのか。「ここはやっぱり世代の違い」ということなのだろうか…。

白熱のトークバトルを経て、もはやオワコンと化した(!?) 映画に対する現状認識をよりシビアに受け止め、不退転の覚悟を固めつつ、七里監督のさらなる探究の旅は、なおもこの先、続くこととなる…。

(桑野仁)

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