Lecture

第1回「そこにあるのかないのか、それは問題ではないのか?」

2014.2.2

七里圭×吉田広明(映画批評)

映画を取り巻く環境のデジタル化が急速に進むなか、七里監督がぼんやりと抱いた微妙な違和感。「なんだか映画が、映画じゃないような気がしてきたんです…。」かくして、現代の怪談めいた七里監督の映画連続講座は、いざ始まることに。

『DUBHOUSE:物質試行52』デジタル版を上映することで明らかとなる、フィルム上映とデジタル上映との一番の違い。それは“黒か影か”。「やっぱり、確かに、見えないのは見えない、ですね。」

フィルムからデジタルへ。より簡便で負荷の少ないメディアへシフトすることによって敷居が低くなり、映画をお手軽に撮ることが可能に。コピペやアンドゥによって、いくらでもやり直しがOK。作品を構成する意志の稀薄化。しかし、それだけが変化の原因なのか。

モノからデータへ。記録媒体の変化。物質なき時代への移行。被写体の浴びていた光をフィルムが感光するから、影=痕跡がそこに残る。心霊写真の実在の可能性は、フィルムのその信憑性があってこその話で、いくらでも操作可能なデジタルでは、そもそも話が成立しない。霊魂はフィルムにこそ宿る?

変化のより大きな原因として、表象体系の変質・弱体化があるのではないか。表象とは、あるものを別のものを介して表す働き。A=Aではなく、そこにたえずズレがあるからこそ、人間は想像力を働かせる余地が生じる。しかし、いまやその表象の力が弱体化し、ものをベタに受け取る以外に、別のものとして頭を働かせる方向性が薄れているのかもしれない。

「そこにあるのかないのか」は、ひょっとすると、もはやそれ自体、問題じゃないかも…!?
かくして、今なお多くの悩みを抱えた七里監督の前途多難な探究の旅は、これからも続くのであった…。

(桑野仁)

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