Lecture
連続講座「映画以内、映画以後、映画辺境」とは?
「映画が“映画のようなもの”にすり替わっているような気がする」という映画監督・七里圭のあいまいな違和感を出発点に、2014年2月から続いている連続講座。 毎回、識者を迎えて七里の疑問、掲げたテーマに沿って講義、討議しながら、デジタル化された映画がどこへ向かおうとしているか、あるいは映画とはそもそもどこから到来したか、過去と未来を射程に入れながら、映画とは何かを、この現在において考察する機会としている。
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第一期 第1回「そこにあるのかないのか、それは問題ではないのか?」
2014.2.2 七里圭×吉田広明(映画批評)
映画を取り巻く環境のデジタル化が急速に進むなか、七里監督がぼんやりと抱いた微妙な違和感。「なんだか映画が、映画じゃないような気がしてきたんです…。」かくして、現代の怪談めいた七里監督の映画連続講座は、いざ始まることに。 […] 続きを読む
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第一期 第2回「切断面がつながり続ける果てに」
2014.3.22 七里圭×渡邉大輔(映画史研究者・批評家)×吉田広明(映画批評)
FacebookやTwitter、LINE、等々、ユーザー同士が、ネットワーク上で情報や会話、コンテンツを双方向的にやり取りし、交換し合う新しいメディアが登場し、YouTube、ニコニコ動画、Ustreamといった、映像 […] 続きを読む
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第一期 第3回「響きが光と溶け合うことで」
2014.5.10 七里圭×小沼純一(音楽文化研究・批評家・詩人)×池田拓実(コンピュータ音楽家・『映画としての音楽』音楽担当)
2014.4.26にアップリンクで行われたライブ・イベント、『映画としての音楽』をめぐるアフタートーク。同作を発想・製作するに至った七里監督の企図、出発点。スクリーンという枠を超え、観客も映画の中に無理やり巻き込んで作り […] 続きを読む
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第二期 第4回「映画は〈まがいもの〉である、ゆえに想像力を生むのだ/か?」
~映画を思考することと作ることとのあいだで~2014.11.15 七里圭×吉田広明(映画批評) ゲスト:平倉圭(芸術理論)+ 土居伸彰(アニメーション研究・評論)
第1期から約半年間の充電期間を経て始まった、七里圭監督の連続講座第2期の幕開きとなる第4回は、前半が吉田広明氏を迎えての過去3回分の第1期の総括、そして後半は、平倉圭氏に加えて、当日折しも海外に滞在中だった土居伸彰氏もス […] 続きを読む
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第二期 第5回「サイボーグになった私たちのまなざしはイメージをどう捉えるか?」〜映画分析においてデジタル技術がもつ意味〜
2014.11.27 平倉圭×吉田広明×七里圭
前回に引き続き、ゲストに平倉圭氏を招いて行われた今回の連続講座は、まず吉田広明氏が、これまでの連続講座の議論を踏まえながら「表象体系の変化」についての見解が述べられる。 何かを別の何かで表すという表象という行為は、その際 […] 続きを読む
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第二期 第6回「現実はアニメーションであり、ヒトはアニメーションになりつつある?」 ~世界認識のモデルとなるアニメーション表現の今~
2014.12.14 土居伸彰×吉田広明×七里圭
第47回衆議院議員総選挙と同日、なんだか暗い気持ちで始まった第6回は、映画研究の吉田広明氏に加え、アニメーション研究者かつプログラマーでもある土居伸彰氏を迎えて行われた。 土居氏は、冒頭からアニメーションの人達にとってデ […] 続きを読む
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第二期 第7回「彼女の声が響くのは、そこに彼女がいるからとは限らない」〜デュラスはサウンドトラックと映像をどのように考えていたか?〜
2015.1.28 小沼純一×吉田広明×七里圭
映画研究の吉田氏に加え、音楽批評家、そして詩人でもある小沼純一氏を迎えて、映画監督であり小説家、劇作家でもあるマルグリット・デュラスの映像と音響の関係をめぐる第7回目の連続講座が幕を開ける。 まずは導入として、デュラス映 […] 続きを読む
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第二期 第8回「のぞき穴を見ている人に聞こえるリアルな音って、何?」
〜リュミエールからエジソンへ揺れる映画史を再起動する〜2015.2.13 大谷能生×荻野洋一×七里圭
音楽家であり批評家でもある大谷氏と、映画だけに留まらず、広く文化批評を扱う荻野氏を招いて開催された第8回は、映画のはじまりをリュミエールではなく、エジソンにフォーカスを当てて読み解こうという試み。 まずは、最近のモニター […] 続きを読む
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第三期 第9回「静止したイメージは映画になるのか?あるいはクリス・マルケルは、なぜ猫好きか?」
2015.9.21 金子遊×三野新×七里圭
映像表現が映画だけではなくなっていること、映像が氾濫している昨今の状況と映画はどういう関係にあるのか、映画辺境にフォーカスして思索を巡らせていこうという第三期。今期のホストの一人であり辺境に旅立つナビゲーターとして、批評 […] 続きを読む
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第三期 第10回「映像アートと、アート系映画の違いって何?」
2015.11.22 生西康典×三輪健仁×金子遊×七里圭
映像を扱う表現が映画以外にも多様に広がっている現在。七里監督が「一番やりたかった」という、映画とその周辺領域、その関連を考えてみる第十回は、まずは批評家であり映像作家でもある金子氏が、80年代から 90年代半ばまでのミニ […] 続きを読む
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第三期 第11回「耳から聞こえる映像はアニメーション?」〜脳内に発火するイメージのありようについて〜
2015.12.13 伊藤亜紗×土居伸彰×七里圭
『闇の中の眠り姫』(映画『眠り姫』のサウンドトラックを一切の光を遮断した暗闇の中で体験する作品)のイベント上映付きの第十一回の連続講座は、「目の見えない人は世界をどう見ているのか」の著者、伊藤亜紗氏と『闇の中の眠り姫』を […] 続きを読む
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第三期 第12回「アピチャッポンの映画はどこから到来するのか?」
2016.2.5 金子遊×川口隆夫×七里圭
アピチャッポンの最新作『光りの墓』の予告編と共に連続講座第12回は始まった。 第三期ではお馴染み金子遊氏に加え、七里監督憧れのダンサー・パフォーマー川口隆夫氏をゲストとして迎えられた。 アートと映画、そして「辺境」につい […] 続きを読む
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第三期 第13回「映画が縦長になったらどうなるか? ~スクリーンの形の意味と可能性について~」
2016.3.24 大谷能生×岡田秀則×七里圭
そもそも一体、なぜ映画のスクリーンは横長であって、縦長ではないのか? 今や皆、スマホやタブレットを縦画面にしながら、動画を見るということをごく普通に平気でやっているのに、なぜいまだにスクリーンは横長のままなのだろう? 批 […] 続きを読む