安藤朋子
アクター。1977年太田省吾(劇作家・演出家)主宰の劇団転形劇場に入団、88年劇団解散後も太田と共に活動し、数々の国際プロジェクトに出演。01年演出家藤田康城、詩人・批評家倉石信乃らとTheater Company ARICAを創設、新作を発表し続けている。主な出演作品に『水の駅』『↑』(転形劇場)、『KIOSK』 『恋は闇』『孤島』(ARICA)など。海外公演も多く、第17回カイロ国際実験演劇祭にてARICA『Parachute Woman』の演技で特別最優秀賞受賞。
黒田育世
6歳よりクラシックバレエを始め、1997年に渡英、コンテンポラリーダンスを学ぶ。02年にBATIKを設立。バレエテクニックを基礎に、身体を極限まで追いつめる過激でダイナミックな振付は、踊りが持つ本来的な衝動と結びつき、ジャンルを超えて支持されている。03年トヨタコレオグラフィーアワード2003次代を担う振付家賞・オーディエンス賞、04年朝日舞台芸術賞、06年舞踊批評家協会賞など他、多数受賞。BATIKの活動に加え、金森穣率いるNoism05、飴屋法水、古川日出男、笠井叡、野田秀樹、串田和美、ジョナサン・マンビィなど様々なアーティストとのクリエーションも多い。22年より『黒田育世再演譚』シリーズを展開中。 http://batik.jp/
さとうじゅんこ
歌い手。秋田市生まれ。東京藝術大学音楽学部声楽科ソプラノ専攻修了。ジャワガムランのプシンデン(女声歌手)として活動する他、滞空時間、すばらしい世界旅行〜音楽編、七里圭監督作品などに参加。シャンソンや民謡など幅広いレパートリーにも取り組む。グローバリズムの抱える問題に向き合いながら創造力豊かなアートネットワークへの貢献を志す。サウナー。相撲ファン。












物語映画、実験映画、パフォーミングアーツの境界線の冒険者による傑作だ。
これは人間が作ったものなのだろうか。次第に人間は消え、残された文化が自我を持って独自に物語を紡ぎ始めたかのような、奇妙さと寂しさの風景が淡々と広がっていきます。
うすい幕をとおして流れる芝居、迫るCG。 そして、静かな狂気にも似た言葉の数々は、日をまたいでも脳裏に残り、目撃した映像の数々に想いを馳せる。
めちゃくちゃ怖い演劇(映画)。川本喜⼋郎の⼈形アニメーションにCGアニメの未来がかぶさったような、余裕で⾒ている観客が最終的には呪いを浴びせられるという…語りたいことがあまりにもありすぎて頭がパンクしそう。映画アニメーションの最先端を⾒たい⼈はここにある。
映画は死んだと七里圭は言う。ならば、映画の亡骸がそこにあるだろう。映画の葬儀を始めよう。長い儀式のはじまりの沐浴が、『清掃する女』である。しかし映画が死んだのなら、これを映画館で見る人間たちもまた、暗闇の箱を満たした涙の海へ、ついに揺曳しはじめる。それは溺死か再生か。
七里圭の異常性が存分過ぎるほどに発揮された怪作
七里圭監督の新たなる旅立ちに拍手を
今の時代の亡霊とは何だろうか。
この映画を観ると、人生とは「私」を取り戻し、
「私」を消失していくだけの営みのように思われていく。
持ち主を失えば、記憶も無数のデータに埋もれるだろう。
映像や音楽、言葉もそのような運命を辿る。
だが、その終わりのなさ、反復性に心惹かれた。
肉体の有無さえ超越し、「私」から解き放たれる可能性。
怖さの奥に、ある種の清々しさを感じた。
〈時間〉とは、俳優のからだにこそ宿るのだ、ということを改めて強く感じさせられました。
俳優の動作によって刻まれ、声によって波うち、佇まいによって引き伸ばされる〈時間〉。その表情を記録することで映画が立ち上がる。
でもそういった映画の作り方に、もはや安穏としていられない……という、なんでしょう……恐怖も伝わってきました。
からだを欠いた動作は、スクリーンの中で変化を見せているにも関わらず〈時間〉にも〈映画〉にもならず、その息苦しさと終わりのなさは無間地獄のようでした。
けれど……いまこうして言葉を拾い集めながら、自分が無事に帰途についたことを知り、どうやら自分は確かに〈映画〉を潜り抜けたのだ、と呆然としています。